日課としている稽古を終え隊舎に戻ると、つん、と嗅ぎ慣れぬ香りがして、一角は立ち止まった。
甘酸っぱいような、くすぐったくなるような、なんとも言えぬ芳香が鼻腔をくすぐる。
ふと、窓際を見やれば、案の定白く小さな花が可憐に揺れていて、一角は苦笑した。

今年もこの季節がやってきたのだ。

 

 

春 色 パ ス ト ラ ル

 

「あの・・斑目三席。」
「ん?」

傍らに居た、最近入隊したばかりの新米隊員が、おずおずと口を開いた。

「綾瀬川五席、どこかお体でも悪いんっすか?」

新米隊員はそう言うと、縁側の方を指差して訝しげな表情を見せる。
やっぱり、と思って一角はまた笑った。

「いや、あいつたまにああやって、仕事ほっぽって、ぼーっとしてんだ。」
「はぁ・・・。」
「ここの隊じゃ普通の光景だぜ。」

 

美を愛し、美しく在りたいという弓親の信条は、この十一番隊の中では明らかに異彩を放っていた。しかし、その執念に半ば呆れながらも隊員たちは、弓親が言うならば、とその美の対象やら、あるいはその信条やらを認めているふしもあった。勿論、隊員たちは、美しいものを見つけても其れを言葉で表すことをしなかった。戦い好きの彼らは物事を美・醜のものさしではかる術さえも知らない。しかし、弓親がそれを具現すると、なるほど、とは感心するのだった。
弓親は、そういう存在だった。

だから、たまに弓親がいつものお気に入りの場所に座って、一日中「美しいもの」とやらを愛でていようと、隊員たちは「また綾瀬川さんの賛美タイムだぜ」と位にしか気にとめない。むしろそれが十一番隊の風物詩とまで言われるほどだった。彼の上官である更木も、普段弓親がデスクワークも虚討伐もそつなくこなしている為、一日くらいは見逃してやろうと(尤も、一度あの場所に座りだすと、いくら言っても弓親は仕事に戻らない、というのもあったが)目をつぶっていた。そんな隊の自由で奔放な気風あってこそ「綾瀬川さんの賛美タイム」は成り立っていた。
そして隊員たちは、それによって季節の移ろいを知るのだった。

 

「いい天気だな。」

庭でしゃがみこんだまま、動かない弓親に一角は声を掛けた。

「茶、入れたぜ。」
「ありがとう。」

縁側に腰掛けながら、弓親は手に持っていた花を花瓶に生ける。
白い手が慈しむように細い茎を扱っていたが、どうやら花瓶が気に入らぬらしく、それをそっと横によけた。

「もうすぐ春だねぇ・・・。」

麗らかな空を見上げながら、弓親はふにゃりと言った。
その表情は、いつもの十一番隊士としての顔ではなく、ただ純粋に目の前の季節の訪れを楽しんでいるようで、普段戦いの時には険しく、凍て付くような力を秘めた目が、今は無防備に細められている。

「そうだな。」

その隣に腰掛けて、一角は答える。
「美しいもの」を愛でる時の弓親の表情が、一角は好きだった。美しいものを愛でる、美しい目の前の人間。それ自体がまるで浮世絵から飛び出してきた偶像のようで、一角はその美しさにまた時を忘れる。

「沈丁花の花が、咲いたんだ。」

心から喜ばしい、というような口調で弓親は言う。沈丁花の花とはどんな花なのだろう、と一角は思った。弓親が愛でるような花なのだから、さぞや美しい花なのだろう。弓親はそんな一角の表情を伺って、笑った。

「さっき向こうに飾ってきた花だよ。いい香りだっただろう?」
「あぁ、あれか。」

この季節になると、いつも弓親が隊舎に飾る花。何年も昔から見てきたのに、名前を知らなかった。

「あれが咲くと、春がやってくるって昔から言うのさ。」

もうすぐ、春がやってくるのだ。木々が芽生え、花々のつぼみが少しずつ膨らんで、胡蝶が飛び交う、麗しい季節。
花粉症になるから嫌だが、花々が咲き乱れる様が美しいから、春は好きだ。というような事を弓親は言った。

「今の季節が一番過ごしやすいしね。夏になると暑すぎて、さ。」
「俺は、どの季節でも別にいいけどな。」
「君ならそう言うと思った。」
「・・・・・だって、いつだろうがお前いるし。」

春夏秋冬、要するに傍にいればいつだっていいのだ。

「うわー君の頭も春になってんじゃないの!?」
「そうだよ、つるりん頭がはるー!」
「うわっ、ドチビ!?何処から現れやがった!?」
「つるりんが、弓ちゃんにクサい台詞吐く前からだよ。」

やちるは、春に最も似つかわしい薄桃色の髪を揺らして笑った。朗らかな笑い声が、隊舎に響く。彼女もまた、十一番隊の風物詩とも言えるかもしれない。

「まぁ、頭が春になっても、芽生えはないけどね。」
「だってつるりんはずっとつるりんだもんー!」

弓親も便乗していたずらっぽく笑った。そして花瓶に無造作に生けたままよけていた先程の花を、やちるの柔らかい髪に、そっと差した。

「ちょうど良い花瓶が見つからなかったんですが・・・綺麗ですね。」
「あはは、やっぱり髪の毛があると得だね!」
「なんだと!?」
「だって、つるりんには差せないもんね!あたしは素敵な花瓶になれたけど!」
「・・・・・・・。」
「素敵ですよ。どの花瓶よりもよく似合ってる。」
「ありがと、弓ちゃん。この花、何ていうの?」
「たんぽぽ、ですよ。これもまた、春の花です。」
「ふーん・・。」

やちるは、口元に指を当て、軽く首を傾げた。それに合わせて、頭の蒲公英の花も、ゆらりと頭を垂れた。そして、数秒後、何かを思い出して、顔を綻ばせた。

「弓ちゃん、まだこのお花、ある?」
「ありますよ・・」
「剣ちゃんにあげたいから、ちょうだい!」
「はい、もちろん。」

弓親が差し出した蒲公英の花を、同じく弓親から貰った春色の和紙で包んで、やちるは嬉しそうに隊舎へ戻って行った。軽やかな足音と鼻歌が段々遠ざかっていく。

「隊長も幸せ者だね。」
「タンポポを持ってる隊長とか想像できねぇ・・・」
「あははっ・・・確かに。髪の毛に差しちゃったりしたらどうしよう。」

二人して同じ映像を想像して、噴き出した。戦鬼と謳われた更木剣八でも、あの小さな少女の前には歯が立たないかもしれない。巷で「草鹿やちる最強伝説」が流布した事もあるくらいだ。

「鈴の代わりにタンポポささってる隊長、見てみたいしそろそろ仕事場に戻ろうか。」
「そうだな、さすがに二人もサボってたら、どやされるだろうしな。」
「僕たちが居なくちゃ、書類も全く進みやしないしね。」

湯飲みを盆に置いて、弓親は立ち上がろうとした。ちょうどその時、陶器の割れる鈍い音と、複数名の怒鳴り声が聞こえた。首を傾げて戻って見ると、案の定隊員同士がとるに足らないことで言い合いをして、いざ戦いが勃発せんとしているところだった。見れば、窓際に飾っていた花瓶は粉々に割れ、その中で沈丁花の白い花弁だけが、陶器の白と相まって、さらに輝きを増していた。

弓親に気づくと、隊員二人は硬直して、にわかに直立不動のまま姿勢を正した。花瓶を弓親を交互に見比べ、気まずそうに目を伏せる。過去に弓親に美しいものをないがしろにするな、と延々と説教された時のあの恐ろしさを思い出し、身震いした。

「す、すんません!綾瀬川五席!あ、あの自分がやったんじゃなくって・・・やったのはコイツっす!」
「てめ!何人に罪なすりつけようとしてんだよ、違います綾瀬川サン!コイツの所為でして・・!」

どうなることかと一角は弓親をちらりと盗み見たが、意外にも弓親は肩をすくめて笑っていた。

「いいよ、壊れたものは仕方が無い。まぁ、その一度喧嘩をはじめたからには、最後まで存分にやりたまえ。」

意外な言葉に、一角は胸を撫で下ろし(隊員に説教を食らわしたあと、その火種は一角にも飛んでくるのだ)、二人の隊員は拍子抜けしたように目を丸くした。それを気にとめるわけでもなく、弓親は自分の机の方へ歩いて行った。

「どうしたんだよ、今日は機嫌いいじゃねぇか。」

お気に入りの美しいモノを壊された弓親は、いつも般若の如くものすごい勢いで怒るはずなのに。今日は鼻歌まで歌っている。こいつの頭にも春がやってきたのか、と一角はこっそり思った。

「さっき思ったんだけどね。」

弓親は、事務椅子を引いて、やちるや剣八、そして再び喧嘩を再開している隊員たちを見渡しながら、にっこりと笑った。その笑顔は、まさに春の陽射しのように暖かく、眩かった。

 

「花なんか飾らなくても、ここは美しいから。」

 

 

もちろん君も含めて、ね。と弓親は一角に視線を戻して微笑んだ。

 

 

 

 

終。

久しぶりに、甘いというか、ほのぼのっぽいものを書いてみようかと。
うーん、ほのぼのって難しい・・・。ぽかぽかした春のイメェジでいこうとおもったのですが・・・うん。
「十一番隊の日常」っていう乃亜さまのリクにあまり従えてない感じでごめんなさい。
こんなんで良かったら、どうぞ貰ってやってくださいませ。

 

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