夕 影

 

 

長く続いていた暑さも和らぎ、近頃はただ秋の気配を日に日に感じるばかりだ。久しぶりの任務休みを持て余した僕達は、ただ手持ち無沙汰に黄昏時を散歩に費やしていた。現世では「お盆」と呼ばれるらしいこの時期には、多くの霊魂は一時期現世に降りて行くらしい。その所為か久しぶりに下った流魂街には人気は無く、ただゆらゆらと揺れるかげろうの中で、ひぐらしがカナカナと存在を主張しているのだけがやけに耳に響いた。夏の休暇を利用して、護廷の死神たちは里へ下ったようだが、帰る場所も知らない者がほとんどを占める十一番隊だけは、やたらやかましい。(いつものことだけれど。)

 

それにしても、と僕はひとりごちる。
今日はどうにもしんみりしていけない。朝からそうだった。何をするにしても、何故か妙に感傷的になってしまっているのだけれど、その実何に対しても無感動である気がする。たとえば、いつもは大嫌いな夏が終わっていくのに少しの寂寥感を感じてしまったり。(こんなセンチメンタリズム、僕には似合うまい!)


人里を離れ、夏木立の並木の中に、足を踏み入れた途端その想いは濃さを増して、僕を息苦しくさせた。ただ焼けるような斜陽が木々の間から漏れ、世界はただ赤かった。だけれど、その赤ささえ今は霞んで見え、煩いと思っていた蝉時雨さえまるで耳栓をしたかのような静寂の前では無言でしかなかった。君の前では。

僕の三歩前を行く君の背中は、美しかった。

彼の放つ「紅」の前では、赤も朱も色を失う。それほどの存在感を放って君は、ただ僕の前に立っていた。虫の声も過ぎゆく夏も、あるいは僕のやるせない感傷ももう見えなくて、ただ君だが見える。世界には今君と僕しか居ないという根拠の無い自信と、こみ上げてくる歓喜!

「ねぇ、一角、知ってた?」
「あん?」
「蝉って1年間土の中で過ごしても、成虫として地上で生きていけるのは1週間だけなんだって。」

初めてそれを聞いた時は只、その短い命に憐憫を感じた。幼い頃の傲慢さを、ある意味での視野の広さを、僕は純粋に懐かしんだ。まだ君という世界の美しさを知らずに居た頃。

「可哀想だと、思う?」
「・・・思わねぇな。短い命なんて、蝉自身は自覚しちゃいねぇだろうし。」

命の価値はその長さではなく如何様にして散ったかにある、というようなことを君は言った。好きなように生きて、(俺の場合は戦って戦って戦いまくって)死ねたら本望じゃねぇか。むしろ俺はそんな短い命で羨ましいぜ。ただ、のうのうと生き延びる必要がねぇからな。
予想していたのと寸分違わぬその返答に、僕は少しだけ口角を上げた。君ならそう言うと思っていた。でも

「僕はそうは思わないよ。」

その言葉に、相変わらず絶対的に一定の距離感を保って僕の前を行く君は足を止めた。先を促すわけでもなく、顔を前に向けたまま。

「正直蝉が短命だろうが、長命だろうが僕はどうでもいいんだ。」

だからといって一角の主張を綺麗事だと思ったわけではない。

「薄情と言われるかもしれないけどね、でももう君以外の何かに心を動かせるほど、僕の世界は広くは無いんだ。」

一角は初めてそこで振り向いて、否定するでもなく、まして肯定するでもなくただ目だけで笑った。その瞳の中で燃える夕日の反照に僕は見惚れるばかりで、次に出そうとしていた言葉を失った。本当に、今世界で誰が死のうが、明日世界が滅びると言われようが、僕の前では君の質量だけが変わらずに在るだけなのだ、ということが言いたかったのだけれど。

それから僕達はただ寂然と落ちていく日を眺めていた。空は茜色から紫紺へのグラデーションを描き、一日の終わりを機械的に告げる。西では残照が薄く空を染めていた。白く頼りない十六夜の月が、東の空から遠慮がちに顔を出しはじめる。

「そろそろ帰る?」
「ああ。」

生温い風が、遠くから蝉の声を運んできた。もう残り少ない時間で懸命に鳴き続ける命を、僕は(ひどい人間だといわれそうだけれど)可哀想だと思うことも無く、ただ無表情に風に揺れる髪を手で押さえていた。そして、先を行き始めた一角の影をいつものように追いかけようと足を踏み出した時だった。

「え・・・?」
「いや、だから、手。」

いつだって僕は君の影のように、あるいは君に纏わり付く空気のようにただ3歩後ろを歩いていくだけで十分だった。その3歩分の距離は、決して離れないものだし、逆にそれ以上侵してはいけない聖域のようなものなのだ、と戒めていた。だから、それ以上の幸せは想像だにしなかったから、君がふと立ち止まって、とても自然な仕草で―そう、君の所作には一片たりとも媚が含まれていない―その美しい手を差し出してきたときには、ただ思考が止まったように困惑して立ちすくむしか術が無かった。呆けたように数秒が経ってやっと、その手が僕の手を望んでいるのだと、おぼろげに理解した。だけれど、僕には到底その手を握り返すことは不可能に思えた。

(なんで、君が僕なんかの手を・・・・?)

手を繋ぐ、という行為について僕は考える。やはり最初に思い浮かぶのは恋人同士で繋ぐということ。あるいは家族や、愛する人なんかと。だけれど僕は人と手を繋いだことが無くて、それは非常に乏しい想像なのだと思った。
恋と呼ぶには僕達はあまりにも長い間共に居過ぎたし、親友と呼ぶには僕達には確実に何かが欠如していた。たとえば相手のために自分や全てを犠牲にする意思や、相手の幸せを願う心とか。そう、僕は本当は君がいつまでも僕のそばで輝き続けていれば良いと思っている。死ななければいいのに、と。でもそれは確実に君の思う君の幸せとはかけ離れた僕の勝手な望み、驕慢なのだろう。

(どう頑張ったって君の幸せと僕の幸せは同時には叶わない。)

僕は君の幸せを、さらに輝いて戦い続けることを祈る。だけれど同時に、君をこの手で殺したくなる。僕が君を殺して美しい散り際を見届ける。そしてそれは決して君の幸福を願うことと矛盾しない。もし僕に君を殺すだけの業と勇気があったならば。

手を繋ぐことから思考が飛躍してしまったことを恥じて、僕はもう一度逆戻りする。だけれど、こんな美しい手を、僕などが握ってしまっていいのだろうか、とたゆたう気持ちは変わらなかった。恋人でも家族でも親友でもない僕が。

 

そんな僕の逡巡を君は汲み取ったのか、いつもの癖で頭をぽりぽりと掻きながら、苦笑した。
あぁ、僕の醜い、拙い感情さえ君は見透かしてしまうんだね。

「なんでもいいじゃねぇか。それとも繋ぎたくねぇのか?」
「繋ぎたいに決まってる・・・けど」
「俺はさっき髪抑えてたその手が、お前がよく言う『美しいもの』に見えたから、ただ繋いでみたい、触ってみたいって思っただけだ。そんな簡単なことじゃ駄目なのか?」

そんなことまで言わせるな、と君は照れ隠しの癖で視線を外した。

「でも僕の手は君と違って醜いんだ。」

君以外の世界のものに対してはあれほどに感情を寄せることのできない僕なのに、どうしてそれが君になった途端にこんなにもこんなにもどうしようもなく心を揺らされるのだろうか。しんみりとしてしまうのも、これほどまでに劣等感を感じてしまうのも、奇妙なことに僕の感情はすべて君に帰結してしまうのだ。

「好きなように死ねるなら、好きなように生きろよ。人生そう長くは無いんだぜ・・」
「なんだか君の言い方もう老人のようだね。」
「うるせ・・!」
「でも、僕が欲望のままに生きていたら君はその醜さに呆れると思うよ。」
「かまわねぇよ。お前、言ってただろうが。『醜く生まれたからには美しく死ね』ってな。」

君は僕の座右の銘を、わざとらしく声音を変えて真似た。似てない、と僕は低くぼそっと呟いた。

「だからよ、有終の美さえ飾れば人生もうけもんだと俺は思うぜ。」

んな似せられねぇよ、と頭を小突かれて、思わず笑みがこぼれる。

「・・・・・ありがとう。」

僕は差し出された手に、そっと自分のそれを乗せた。僕の手は君のそれに比べたら、ちっぽけで汚くて、あまりにもちっぽけで君の色んなものを包み込むことはできなさそうだけれど、君はぎゅっと握り返してくれたので、できる限り美しく見えるように微笑んでみせた。

それから、完全に紺色に染まった空の下で手を繋いだままの帰り道、僕達は何度も馬鹿みたいなキスをした。いつの間にかまた鳴きだしたひぐらしの声も、キスの雨も、目を閉じれば降ってくるようだった。明日の命さえ保証できない僕達には時間がない。貪る様にお互いに求め合った接吻は、何かに急かされた様に切羽詰っていて、それでいてひどく穏やかだった。

「やっぱりね、醜くても君と一緒にいたいよ。」

宵闇の中、聞こえないように呟いた。

幸せなことに君は、僕が長い時間をかけて導き出した自分への戒めや、価値観をいつも一瞬で揺るがしてしまうのだ。
だから、命ある限りは、君の世界に一番近いものが僕であれたら。
そして命ある限りは、どうかその手の輝きが消えぬように、とそっと祈って僕は帰路についた。

 

 

 

 

 


あとがき。
キリ版4000の申告がなかったので、ニアピン賞ということで、3999を申告してくださった馳さまにささげます。
手つなぎで、らぶらぶな角弓を!とのことでしたが、なんだかあんまりいちゃいちゃしてなくてごめんなさい・・・!!
甘いのはこっぱずかしくて(私が)普段あまりかけないのですが、できる限りラブラブになるように頑張ってみました。
一角がどれだけ弓親に優しくできるか、の挑戦(笑)でも楽しかったです。
馳さま、リクエストありがとうございました!!!


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